アナ研坊や(あなけんぼうや)
暫定委員長が入学した頃、アナ研のマスコットらしき扱いをうけていたもの。
当時は入会の案内パンフレットやウィンブレ(別掲)、会員名簿の表紙など随所に描かれていたが、マスコットとして定着するまでには至らなかった。たぶん、私が入学する前の年につくられたものだと思う。つくられた経緯については不明。「アナ研坊や」という呼び名もはたして公式のものかどうかはわからない。当時の会員名簿の巻末に「表紙デザイン=塚田さんのおともだち」なる記載があり、塚田さんが何らかの事情を知っているものと思われる。
怒りTシャツ(いかりてぃーしゃつ)
ナイトハイクで代々受け継がれていたTシャツ。「怒」の文字とともにすみを吐くタコの絵があしらわれていた。
前年度のフリータイム(ナイトハイクの欄参照)にお目当ての女の子にふられ、その怒りを胸に、今年こそはと闘志を燃やす第一人者に伝授される。初代の所有者は3期上の原陽一さん。
類似品に「気合いGジャン」というものも。
一升さん(いっしょうさん)
夏合宿(たぶん私が1年の頃)の飲み会で1期上の嶋本先輩が見せた「日本酒の一升瓶ラッパ飲み一気」に敬意を表し(?)て、嶋本先輩に贈られた尊称。
別の先輩に贈られた、似たような尊称で「おしっこさん」(→お茶をこぼす)というのもある。
ウィンブレ(うぃんぶれ)
アナ研スタッフの公式衣装。暫定委員長が入学する前の年につくられたもののようだ。
裏地もなにもない薄っぺらな代物だったが先輩方の話では製作費用はけっこうかかっているらしい。背中にはアナ研坊や(別掲)が青インクで大きく描かれていた。私の知る限り、この類のものがつくられたのはこれっきりで、我々の代は先輩からこのウィンブレを譲り受けて着ていた。師弟関係の象徴のようなものとも言えるだろう。例えば、私は1年生の時の委員長、加藤さんから譲り受け、高野は映像部つながりで渡辺さんから譲り受けていたように思う。そして、私は引退時に鈴木香に引き継いだが、その後は不明。
ちなみに、私が譲り受たウィンブレは、加藤さんの所有時、扱いがぞんざいでカビがしょっちゅう生えていたとかで「かびジャン」という通称がついていた。
SM−UNO(えすえむ・うの)
夏合宿(たぶん私が2年の頃)の自由時間におこなわれていたカードゲーム「UNO」で、一番負けが勝者から、ろうそくの「ろう」をたらされるとの罰ゲームルールが設定されたため、この名称がついた。
ゲームをはじめた当初は、きちんとこのルールにのっとって罰ゲームがおこなわれていたが、気がつくと、誰が勝とうが負けようが、ろうそくをたらされているのはなぜか関(せき)先輩となっていた。
F(えふ)
正式名称は「(酒を)ふられたら飲まなければならない飲み会」で、Fはその頭文字をとったもの。
会の公式飲料はサントリー「ホワイト」で、名称通り、ふられたものはすなわち一気にこれを飲まねばならない。参加者は、それぞればらつきはあったが、5人から10人程度。
ただ、前述のような飲みを展開するので、ホワイトの大瓶一本が、数分で空になってしまう。最初からと言うわけではないが、参加者は全裸が基本。この状態で「惜別の歌」の儀式まで行われる。新歓ハイクや、合宿と言った「公式行事」の前日に開催されることが多かった。
私も1年生の頃、2〜3度参加したことがあるが、そのうち一度は途中参加であったため、しらふで全裸にならねばならなかった。そのころが、全盛期で頻繁に挙行されていたように思う。しかし、この会はハードな飲みに破壊行為が伴ううえ、それに対する補填が行われたためしは一度もなく、会場提供者がいなくなり下火になっていったのではないかと思われる。
全盛期には、あまりの騒がしさに付近住民が通報、会場に警官が駆けつけたが、扉を開けるなり数人の泥酔した全裸の男達に迫られ、警官は「だめだこりゃ」と一言残してそのまま帰ってしまったという逸話が残っており、公的権力をもしのぐ勢力を保持していたとされている。
似たような名称で、私が1年生の頃は高幡不動の「村さ来」で行われる私的な飲み会を「M(えむ)」と呼んでいた。
(以下塩入2組編集委員情報)
しかしその後、24期生を中心とするメンバーの手によって「負けたら飲む飲み会」としての「M」が創設された。「負けたら」とは、ゲームなどの勝負に負けたらの意。「M」には全裸の風習や破壊行為などは伴われず、超過激な「F」が衰退し絶滅した一方で、理性を埋没させることのない「M」の精神は現在のアナ研にも引き継がれている模様。
また、一部女性会員の間で「Ladies−F(略称LF)」なるものが企画されていたが、こちらは未遂に終わっている。
お酒の正しい飲み方(おさけのただしいのみかた)
酒を飲む際に、グラスやおちょこを口に持ってくるのではなく、口をグラスやおちょこに差し出して頂くこと。「お酒は人間様より偉いんだ!」という3期上の先輩、内田雅之さんの持論による。
(原案:尾山編集委員)
お茶をこぼす(おちゃをこぼす)
飲み会で、泥酔のあまり失禁してしまうこと。
長らく夏合宿の会場となっていた、奥志賀の「サンモリッツ志賀」の地下宴会場には、それが原因とされるシミがいくつか残っていた。代表的なものには月面のクレーターのように、個人の名前がつけられ・・・なんてことはなかったが、原因として個人が特定されるものもあったことは事実である。
オペロン鈴木(おぺろんすずき)
私の3つ上の先輩で、出会った頃にはアナ研をすでにやめてしまっていた松浦さんの住んでいたアパート「鈴木荘」の大家さん。じいさんとばあさんの2人いる。鈴木荘は電話が取り次ぎであったため、取り次ぎをしていたこの大家夫婦をこのように呼んでいた。
「まつうらくぅ〜ん、で〜んわ〜だよぉ〜〜」と、気の抜けたような取り次ぎがかなり特徴的だったため、オペロンの名前がついたこの夫婦だが、私はその取り次ぎを直接聞いたことはない(というより、松浦家に電話をしたことがそもそもない)。ただ、オペロン夫婦には、松浦さんの卒業に際し、引越の手伝いにかり出されたとき、一度会ったことがある。そのときに夫婦・・・とくにばあさんのほうが、「松浦さんは、4年もここにいてくれて、いい人だ」としきりに繰り返していたのが印象的なのと、鈴木荘に入るなり、入口の壁に「女入るべからず、女入れるべからず」と書かれた手書きの張り紙がしてあったのが目に焼き付いている。