和彦スペシャル(かずひこすぺしゃる)
平成元年、未公認団体で大学からの援助が得られないと言う貧乏な財務状況の中、当時の執行部が清水の舞台から飛び降りる思いで購入したビデオカメラ。名称は購入時の初代映像部長・渡辺和彦さんに由来する。略称は「カズスペ」。
S−VHS対応で、当時は「家庭用」のビデオカメラとしては最高峰とのお墨付きであった。しかし家庭用とはいえ見た目は業務用のENGカメラに似たるものがあり、「家庭」で使用している人がいたとしたら相当「マニア」な代物。運搬時は頑丈なケースに入れられ、これがまたすさまじく重く、特に頻繁にあったスタジオから大学構内への持ち込み、多摩動からの坂は試練という他はなかった。
運搬の苦労もさることながら、必要以上に目立つのも難点で、「だまし」がきかず、随所で撮影の許可を求められたりすることがしばしば。例えば私は、多摩動前の広場でインタビューをとっていたときでさえ、「許可無しでは不可」との注意を駅員さんからうけ、閉め出されてしまったことがある。
いくらしたのか私ははっきりとは覚えていないが、現在は、画質は格段によく、劣化もしにくい、また小回りもきくデジタルカメラが、これよりはるかに安価で手に入る。同期らの間で、この当世最高のスペシャルカメラにまつわる苦労を語り合うときは、もう・・・笑うしかない。
合宿の酒(がっしゅくのさけ)
夏合宿の夜は必ず飲み会と決まっている。飲み会といえば、とりあえずビールだが、合宿でビールが出されるのは最終日の大コンパだけ。それも、ビールはほとんど執行部の皆さんのために用意されるもので、3年生それぞれが吐きに走るまで、ふり続けるため(酒をふる→F・ローディ)、下級生の口にビールが入ることはほとんど無い。
なぜかというと、冷えたビールは金がかかるからである。
よって、合宿の酒は安くてアルコール度の高い、粗悪な日本酒や焼酎またはウィスキーが中心となる。焼酎の「ビッグマン」や「白鶴」の箱パックみたいに、聞いたことのある銘柄もあることはあるものの、大半はわけもわからないような銘柄のものだった。印象に残っているのは、「マグナム」という箱ワイン。「日野」とか「八王子」といった、何を根拠につけられたかわからない名前の日本酒の一升瓶(味はそれぞれ違うという意見もあるが、私にはよく解らない)など。「スーパーニッカ」や「レッド」、あまつさえ「ホワイト」であっても(→F)、その前に座ることが出来たら運がいいと思わねばならなかった。
あと、忘れてはならないのが「電気ブラン」でこれは夏合宿に於ける公式飲料に位置づけられるもの。浅草「神谷バー」の名物酒も多摩地区ではなかなか売っている店がないのだが、調布まで出向いて買い付けていた(私が学生時代住んでいた府中にも1件扱っている店があるのをその後発見・・・府中公園の近く)。電気ブランを飲むときには規定のふりのテーマがあった。「で〜んきブランはおいしいな!」これを3回セットで繰り返すのである。
酒の買い付けは総務部の仕事で、5泊6日の合宿の酒代は最終日のビールを除いて12〜3万が捻出されていた。合宿の総務部屋はすなわち酒蔵であった。
私が3年の時に、酒の質を上げようとの考えから、「アーリータイムス」や「オールドパー」といったメジャーなものも買い入れた。
ちなみに、私が2年生の時、救急車騒ぎになったことがある。
クイズ百点満点(くいず・ひゃくてんまんてん)
NHKのクイズ番組で、OAは大河ドラマ前。この番組が始まるまでは、あの鈴木健二さんの「クイズ面白ゼミナール」がOAされていた時間帯。今は「日本人の質問」がOAされている。ちなみに司会は、今では「めざましテレビ」のキャスターをつとめる大塚範一さんで、コメンテーターには当時解説委員の田畑彦右衛門さん。
ある決められたテーマにのっとったクイズに、会場の大学生が答えるという形式をとっていたが、会場の大学生の大半は放送系サークルの構成員だった。出演すると、一人当たり2500円の配当がもらえる。中大アナ研には2〜3週に一度、10人程度の出場依頼があった。会場に入るとき赤い帽子を配られ、答えを間違うと帽子を取らなければならない。全問正解すると最後に前で自己紹介の機会を与えられ、番組終わりに彦右衛門さんが自分のカメラで記念撮影をしてくれる。私は2年生の頭に一度だけ満点をとったことがあった。
番組の途中に体操のコーナーがなぜか設けられており、テレビ体操の輪嶋直幸さんが出てきて、「満点体操」なるものを会場全員でやっていた。私が出ていた頃、この満点体操は第一と第二が存在し、シメのコメントはいずれも「ぜ〜んぶできたら、ま〜んてん!」だった。
グルティー(ぐるてぃー)
「グルメが選んだ紅茶」の略で具体的な銘柄は当時発売されたばかりの「午後の紅茶」。
グルメとは、文字通りアナ研きっての食通といわれた三垣さん。
その三垣さんが「これはうまい」と絶賛したということからこう呼ばれた。
原爆さま(げんばくさま)
私の3期先輩の羽島さんの通称。主に麻雀部員(麻雀部の欄を参照)がそう呼んでいた。
由来は不謹慎だが単純で、羽島さんが広島出身だから。ただ、私の同期の委員長は長崎出身だが「原爆」と呼ばれたことはない。
羽島邸は当初、なぜか「東京ドーム」と呼ばれていたようだが、私が入学してまもなく「原爆ドーム」と当たり前のように名を転じた。
公式行事(こうしきぎょうじ)
アナ研の年中行事で、よほどの理由が無い限り出席が義務づけられていた重要(?)な行事のこと。
公式行事とされるのは、新歓コンパ・新歓ハイク・ナイトハイク・夏合宿・発表会全体リハ・発表会本番・冬合宿・追いコンと、私が思いつく限りこんなところ。
万人に納得がいく理由が無く、これらの行事をすっぽかすと「退会勧告」が発令され、総会での喚問がまっていた。
こうもん様(こうもんさま)
「高速モンスター」の略。
スキーで、1期上の先輩の関英一さん(→SM−UNO)が斜面をすべりおりる際、頂上から下までターンもせず真っ直ぐに降りてくることからこの名前がついた。
スキーのスタイルは「ボーゲン」なのだが、上記のようにターン無しで真っ直ぐすべりおりてくるため、ふもと付近では驚異のスピードに。まさにモンスターであった。
5限練(ごげんれん)
アナ研の活動の一つで、基本的な発声練習を行う昼練(ひるれん)に対して実践的な練習を行っていたもの。月曜から金曜の毎5限が練習時間に当てられていたことからこの名称になったと思われる。私が3年の時に、平日毎日から週2日に練習日を減らしたが、「5限練」の名称は引き続き使っていた。アナ研の公式ページを見るに、現在は「午後練」という名称になっているようだ。
ちなみに、私が入学してひと月までは土曜日にも昼練が行われていたのを記憶している。