麻雀部(まーじゃんぶ)
5限練後、多摩動付近の雀荘「天狗」(となりには同名のビリヤード場もある)を中心に活躍していた麻雀メンバーの総称。天狗での活動時間は、多摩動最終電車の出る23時半頃まで。その後は、高田馬場に繰り出すか、苦情の出ない個人宅でということに。混雑時期には、「楽園」「小天狗」などに、また場代の安い明大前に遠征することも多かった。
私が1年生の頃はメンバーも豊富だったが、その後、これも時代の流れか減少傾向に。4年の頃ともなると、ほぼメンバーは固定されてしまったが、会合はほとんど毎日行われていた。
部というからには、麻雀部長も存在し、メンバー集めから場所決めまで、麻雀に関わるコーディネートが主な業務だった。
萬珍天國(まんちんぱらだいす)
昭和末期から平成初頭にかけ、アナ研が1・2年生を中心に白門祭で出店していた「ゲイバー」の名称。最高責任者は「萬」と「珍」。その他のメンバーは予算設定から財務会計を担当する「大蔵省」、ビラづくりに代表される広報活動を担当する「外務省」、内装担当の「建設省」、酒肴の買い出しを担当する「農水省」、輸送を担当する「運輸省」、おかまのメイクや衣装調達を行う「厚生省」にふりわけられる。「萬」と「珍」を中心に、各省の代表者である大臣により内閣が組織され、萬珍天國の運営にあたっていた。私が1年生の時は「萬」が豊田康雄さんで「珍」が笹川さん。2年の時は「萬」が私で「珍」が尾山だったはず。
白門祭はゲイバーが軒を連ねる激戦区で、おかまの格好で客引きをしていても、初日・2日目までは奇異な目でみられるが、そのうち「またか・・・」とばかり誰も相手にしてくれなくなる。
そんななか、当店は良心的な商売に終始し、おかまの飲む酒はすべて店持ちだった。
ただ、おかまの飲む酒の量が半端ではなく、店の利益を大きく食いつぶすことから、大蔵省から「おかまが飲み過ぎぬよう」との政令がしばしば出されていた。そんなわけで、期間を通じて売り上げは20万円をこえるのがやっと。利益は発表会後の冬合宿の費用に充当された。