三国志(さんごくし)
私の同期の小松と1期上の宮田先輩の編纂による。平成3~4年ごろの勢力分布(?)を「三国志演義」になぞらえたもの。「アナ研三国志」。
会員一人一人が登場人物に当てはめられている、かなり通好みな作品。
蜀の三傑は、劉備が尾山、漢羽が高野、張飛が花井とキャスティングされている。
それに対する、魏国は、曹操に茂田井先輩で我らが委員長は曹否。私、暫定委員長は呉国の王・孫権だそうな。
ちなみに諸葛亮には作者の小松自らが名乗りを上げており、客観性にいささか難有りとの声も聞かれるが、「なぞらえ」にうなずける点も少なくなく、鋭い人物評価(?)による「力作」である(と私は思フ)。
飲んだときに小松に話をふると、熱く語ってくれるはず。
ただ、適当なところで話を切り上げないと深みにはまり、「通すぎ」て訳が分からなくなる。
視聴率(しちょうりつ)
アナ研内での人気のバロメーター。
特に飲み会でどのくらい「バカ」になりきれるかが、視聴率上昇のカギを握っていた。
四万十の竜(しまんとのりゅう)
同期の小松が高校時代、地元、香川・高松で結成していた(とされる)原付暴走チーム(→薔薇)。
またリーダー小松の通称でもあり、チキンレースでは香川で敵無しだったという。
新歓ダッシュ(しんかんだっしゅ)
私が3年生になるまで新入生の勧誘のための出店の場所は先着順で、そのために開門と同時にお目当ての場所までまっしぐらに走ることをこう呼んでいた。開門ダッシュとも。かつての中大の名物風景のひとつ。
開門は朝8時頃だったと思うが、そのころには、正門はもう黒山の人だかりでおしくらまんじゅう状態。
8時に門が職員によって開かれるが、その時点では、まだ門の左右に職員がロープを引っ張ったまま立っている。そのロープを落としたらスタート。
相当な人数が突撃をはじめると、もう靴をとばそうがものを落とそうが、後ろを振り返ることは出来ない。これを入学式の日から向こう4~5日は繰り返す。
出店の場所は、どんな団体もダッシュによって得ねばならない。つまり、体連も例外ではないということである。
ただ、当時のアナ研には陸上のエキスパートも数多く存在し、体連に臆することなくお目当ての場所は必ず確保されていた。
私が4年の時から、あまりに危険だということで(ただ、けが人が出たという話は聞いたことはない)ダッシュの風習はなくなり、抽選による場所決めがおこなわれるようになった。
商・貿(しょうぼう)
「法科の中央」の呼称をせせら笑うかのように、昭和末期から平成初頭のアナ研で主流派の地位を占めていた商学部商業貿易学科の人たちのこと。ルーツは大沢俊夫さん、小又和徳さんの昭和60・61年度卒ラインではないかと推察され、公私ともにアナ研をリードしてきた驚異の集団。
その後、内田雅之さんを最後に久しく「商・貿」会員が途絶えていたが、平成元年に土崎・花井・尾山のいわゆる「商貿3バカ」が入会。
「商・貿3バカ」は内田さんを「ろくでなし」(→別掲)として精神的支柱に掲げ、同期同士の横のつながりのみならず、縦のつながりをも強化した。
この「ろくでなし」路線で、「商貿」はいきなり全盛期を迎える。
特に「商・貿3バカ」の「飲み界」での台頭はすさまじく、私を含め他の新入生メンバーが対抗して「4ウザ」(→別掲)を結成し、レジスタンスを試みたが、視聴率(→別掲)競争では、3バカの足下にはとても及ばなかった。
当時、商学部商業貿易学科の新入生には、まず「おまえもしょーぼーかぁ・・・俺もだ」と粋に声をかけるのが「商・貿」の契りの儀式とされ、1期下の赤峰くんがその血統を引き継いだ。
(原案:尾山編集委員)
スタジオ(すたじお)
アナ研は発足以来、長く未公認サークルで大学側から部室を与えられていなかった。そのため、機材置き場として、またDJ前の技術を交えての打ち合わせやオープンテープの編集などを行うための部屋を学外に確保し、それをスタジオと呼んでいた。
スタジオとは言え、早い話が風呂無し・トイレ共同・6畳一間の木造アパート(築は30年近く?)の一室で、新入生は、入会後はじめて、先輩から「スタジオに行こう」といわれついていくと、「スタジオ」という言葉に思い描いていたイメージと現実とのギャップにまず衝撃を受ける。
私が入学した当初は京王線の八幡山駅近くに、それから程なく府中駅南口に場所を変えた。家賃はいずれも1万円台ではなかっただろうか。
スペシャル(すぺしゃる)
スペシャルドリンクの意。
ビールの中に、各種つまみの類を「だし」をとるべく放り込み、醤油やソース、マヨネーズなどの調味料を混合させ味を調える。飲み会が佳境に入り、場が停滞し始めるとゲリラ的に製作されることが多い。
調理の最終段階で「くつした」に流し込み、ぎゅっと搾ったものが最高級品とされる。
一気に飲み干したあとは、「♪もっぐもぐ~、もっぐもぐ~」のふりで、だしがらをこれまた一気に食するのが正式な味わい方。
○○星人(○○せいじん)
暫定委員長が現役当時にはやっていた、その人の現状を比喩する(?)表現。
例えば、貧乏にあえいでいる人のことを「貧困星人」、彼女ができて調子良さげにしている人を「のろけ星人」。亜流だが、「おばけ星人」というものも。また別に比喩表現ではなく○○の部分に具体的な名前を入れて使用することも多かった。
世界一(せかいいち)
嗜好品の通称で、2期上の渡辺さん(→連隊長)が「世界一うまい」といえば、たばこの「ハイライト」。3期上の内田(→ろくでなし・商貿)さんが「世界一の飲み物」といえば、「ドクターペッパー」のこと。
特にこの「ドクターペッパー」、商・貿(→別掲)の精神的支柱内田さんが好んで飲んでいたため、商・貿の伝統的飲料とされていた…と尾山は言うんだけど、黒田も影響されて好んで飲んでました。
1年生の時、たまり場で内田さんから、ただ「おめぇのも買ってきていいぞ」と言われ200円を渡されたら、内田さん用にはドクターペッパーを買ってくるのが我々当時の1年生の常識であった。
また、内田さんはヒルトップ4Fスエヒロの「とろろそば」をよく食していたことから、「とろろそば」に「ドクペ」の組み合わせが「ろくでなしセット」と呼ばれていた。
ひとしきり味わって、強炭酸ゆえに込み上げてくる「げっぷ」を押さえながら、「これがうめぇんだ…」と粋につぶやくのが「商・貿」流の飲み方。
この「世界一の飲み物」、どうやら関西方面ではあまり見かけないらしく「この正月、久々の里帰りで8年ぶりにドクペの雄姿に接し感激した…」とは尾山編集委員の談。
(原案:尾山編集委員)